シーンとしてのボサノヴァ〜ブラジル軍事政権樹立まで

ジョアン・ジルベルトが生きている限りボサノヴァは常にリアル体験です。



記念すべきボサノヴァ第一号

1958年ジョアン・ジルベルトのデビューシングルリリース

『CHEGA DE SAUDADE』

作曲:アントニオ・カルロス・ジョビン
作詞:ヴィニシウス・ヂ・モライス

同名アルバム中DESAFINADOの歌詞の一節に[これがボサノヴァ〜]と歌う部分があり、その一節がBOSSA NOVAという言葉の世界的認知の後押しになった事は有名な話。この曲のあまりのセンセーショナルさに完コピ大会が各地で行われたとか、、、インパクトの大きさが伺い知れます。

ボサノヴァアメリカへ、そして世界へ

前年62年のボサ御一行(トム、ジョアン、ルイス・ボンファ、ホベルト・メネスカル、セルジオ・メンデスなど)のカーネギーホールでのパフォーマンスを布石にアメリカで一気にボサノヴァが盛り上がる。「Bossa Nova at Carnegie Hall」に収録)

さらに音楽史上まれにみる問題作『ゲッツ/ジルベルト』の発表を期に商業大国アメリカでボサノヴァが大爆発。ジョアンは本アルバムの録音スタジオにて、大音量でテナーをブローしまくるゲッツに「あのバカな外国人をやめさせてくれ」とトムに頼んだという。すかさずトムは「ジョアンはあなたとレコーディングできるのが永年の夢でした」とゲッツへ。大ヒットシングル「イパネマの娘」でジョアンのヴォーカルがカットされていた等様々な逸話を残す。本格的なジャズ・サンバの幕開けと、一大商業圏アメリカへボサノヴァがフィールドを移した良くも悪くもボサノヴァ変化の年。

※この世界的ブレイクで所謂『ジャズ・サンバ=ボサノヴァ』としての認知を受けることとなる。


'64:ブラジル国内でブランコ陸軍大将が大統領になり軍事政権時代始まる(以後軍事政権は85年までつづく)。それと共に多くのミュージシャンが活動拠点を海外に移す。ブラジル国内でのボサノヴァはこの頃を境に急激に衰退してゆく。

'67:ベトナム戦争、ヒッピームーブメントの台頭などの煽りによって甘くアンニュイなボサノヴァは、アメリカ本国でも次第に衰退して行く。以後ジャズミュージシャンの、また、ヨーロッパの愛好家達の引き出しの中でそっと生きて行くことになる。カエターノ・ヴェローゾデビューの年

ボサノヴァからMPBへ

60年代後半より燻り出していたカエターノ/ジルベルト・ジルを中心としたブラジル国内のカルチャー擁護のため「トロピカリズモ」ムーブメントがいよいよ台頭。この運動は国内の政権不安と比例するように若者の間で過熱の一途を辿ることとなる。ボサノヴァ衰退以降は今のところ本サイトでは触れません。詳しく知りたい人はリンクページにて有用サイトを紹介しています。覗いてみてはいかがでしょう??

ボサノヴァの神様ジョアンジルベルト初来日

2003年9月11日、12日、14日、16日の4日間ジョアン・ジルベルト東京・横浜にて奇跡の来日公演を果たす。日本のボサノヴァファンに多くの感動と心地よいメディテーション、同時に「ライヴ・インTOKYO」なんて嬉しい置土産も残して帰国。僕はまたジョアンがひょっこり来日するとを本気で信じております。

ジョアンジルベルト再来日!!

2004年10月6日、7日、10日、11日の4日間@東京国際フォーラムA。奇跡の初来日公演からちょうど1年、ジョアンがぼそっと呟いた(かどうかは知らないが)再び来日!だれもが最初で最後と思った2003年9月。神様はよっぽど日本を気に入ってくれたみたい、今度はみんなでシェガ・ヂ・サウダーヂを合唱しましょう!!

 


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